あえて今を感じる〜無視している小さな痛みたち〜

コロナな日々ですが皆さんいかがお過ごしでしょうか。

オリンピックが延期されたことがもう何ヶ月も前に感じる。

日々状況が変わっていく中で皆さんはどのようにお過ごしでしょうか。

当初は一時的なもの、

自分とは関係のないものとして捉えていたけれど、

刻一刻と自分ごとになっている

でも、どこか「自分は大丈夫」と思っているところがあるのは否めない

だからと言って無駄に外出をしているわけではなく、

たくさんの情報の中で、正しい情報に耳を傾ける。

そんな日々を私は過ごしている。

インターネットの普及のおかげで世界の状況も入りやすい。

イギリスは、アメリカは、スペインは・・・。

各国のリーダー層がこの緊急事態にどう対応しているか、

どう国民に投げかけているか、その違いは明らかになっている

自分の中で何が起きている?

私は基本前向きだし、周りにそういう人が多いのでつい意識を向けずに事柄を進めがち。

でも、自分の中にある小さな声にはどんなものがありますか?

声なき声としてシステムコーチング®️では「ディープデモクラシー®︎」という言い方がある。

日本語にすると深層民主主義

組織の中にもあるよね。

言ったところで状況変わらないし、

言っても弱いと思われそうだし、

言ってもどうせあの人が決めるし、、

と思って言ってない声。

そのディープデモクラシーを聞いたからと言って何かが変わるとは限らないけど、

時にはそこから大きな可能性の扉が開くこともある。

今回この自分の中にあるディープデモクラシーを突きつけられたきっかけがある。

それは私が参加したグローバルのパートナーたちとコールをしたことがきっかけだ。

ヨーロッパ、南アフリカ、北米、南米、アジア10カ国以上の国からズームで繋がるそのコールの空気はこれまでと全く異なり、重く、深刻だった。

コロナの状況でどんな影響を受けているのか、そこにはどんな感情があるのかという問いだった。

そこまで深刻にならなくてもーと思っていた私だけど、次第に彼らの状況に耳を傾けると
そこで初めて、あ、日本だけ違うと思った。

「世界はこんなもんじゃない」

そこには収入が今後ないかもしれないということへの恐れ、

自分は良くても自分が住んでいる国の経済状況や人への不安

ロックダウンにより家族と離れて暮らすしかない人

親のことが心配でならない人

自分が雇ったばかりの社員に給料が払えないかもしれないことへの不安

顧客が離れてしまうことへの恐れ

リーダーとして活躍する彼らだからこそ、普段蓋をしている感情の渦が吐露された。

さて、今あなたが無視しているディープデモクラシーはなんでしょう。

このコールを経て、

私の中にはこんな小さな声たちがあった

・日本はかなり温度感が違うな、ちょっと心配だな (3月中旬)
・「日本人って呑気だよね」という声が言葉ではなく、場から感じている自分、うー痛い。(3月下旬)
・私はあまりにも事態を深刻に受け止めなさすぎている愚か者なのではないか。(3月中旬)
・そこまで共感できない自分の冷酷さへの自己非難 (3月下旬)

日本のことを言われると、どこか他人事でもあり、自分が言われているようにも感じる。

まさに、

間に立つ人の痛み

この感覚は海外に住んでいる時もあったのではという仲間からの投げかけで考えてみる。

当時は痛みとして捉えていなかったけど、

確かに日本のことを悪く言われるとなんだか申し訳なく感じたり、

どこか他人事に感じたり。

今回はそんな間に立つものとして「痛み」として感じてしんどくなっていた。

この痛みこそ、私のいろんな活動の原点になっていることも再確認しているところ。

もちろんこれは仲間にも聞いてもらい、私の浄化はできたので、復活はしているけれど、こうやって精神的に無意識に我々は影響を受けていると思う

考えてみれば、仕事で出かけるという行為も今まで以上に神経質になっているのは私だけではないはず。

そんな気疲れも溜まってくる頃

前に進めることも大事だけど、

アフターコロナについて考えることも大事、

今しかできないことに手を動かすことも大事

でも、それより前に今の自分にどんな感情があるのか。

もしかしたら今自分の中にあるものと向き合うことが一番大事かもしれない。

あなたが無視している不安や恐れはなんですか?

*システムコーチング®︎とはCRR Global Japanに商標登録されたものです。
*ディープデモクラシーはアーノルド・ミンデル博士によるものです。