2012年に私は初めて自分のコーチングでクライアントから対価をもらうということを経験した。
当時はコーチングの資格を取る半年のコースが始まり、
その期間に100時間リアルなクライアントに対してコーチングをすると言うのが一つの卒業条件。
勇気を振り絞って自分から「こう言うのやってるんだけど興味ない?」
と知り合いにお願いしたのは今でも覚えている。
まだ資格も持ってない私に「いいよ」と言ってくれた人たちに改めて感謝。
そこから8年が経とうとしている
正直私は飽きっぽい。
同じことを繰り返すとか、継続や維持を目標とするのはすごく苦手である。
そんな自分がなぜ続けることが今のところ出来ているのか。
なぜなら好きなことをしているから
「好きなことを仕事にするって不可能」
あるいは「それは大して稼げない」と言う思い込みが巷にはあるかもしれない。
でもね、必ずしもそうとは限らないよ。
私の周りにもたくさんの好きなことを「仕事」としている人に出会っている。
・人をつなぐことが好きで、言葉にこだわりのある人が通訳の仕事
・遊ぶことが大好きで大人が遊べる親子向けの場を自然の中で提供している人
・クラフト作りが好きで、作り続けていたら友人の通販サイトに出店するようになった人
好きなことをしていても、私が飽きたらおしまい。
私がなぜ好きなことをして飽きないのか。
そこには3つの要素がある。
①アスリートマインド
②2種類の学びを続ける
③収入のためにはやらない
①アスリートマインド
プロとして立つと言うことを私は大事にしている。
簡単に言うと、常に心と体のコンディションを整えるようにしておく。
アスリート的な意識。
自分の体のメンテナンスはもちろん、
ヘルプが欲しい時はすぐ出す。
不安な時は抱え込まず、不安であることを家族や仕事のパートナーに伝える。
伝えても何も解決しない。
けど、自分で抱え込まず、循環させる。
②2種類の学びを続ける
学びとは決して何かのコースにエントリーすることだけとは限らない。
「人生経験」と言う位置づけで挑戦することも学びだと思う。
便利な言葉だね。
でもそれだけ学びの材料は日々の暮らしに散りばめられている。
同じ経験をしながら「学び」として捉えるかはその人のスタンス次第。
学びには2つのタイプがあると思う。
「極める、深める学び」と「幅を広げる学び」
極める、深める学びは何かと「〇〇の世界のマニアック」がするもの。
私の場合だとコーチングの資格コースはそれに当てはまる。
受ける側としてももちろん「極める」学び。
今はシステムコーチのトレーナーとしていろんなロールのトレーニングを受けていて、
それもある意味「極める深める学び」の一つ。
あと2019年の女子ラクロスU19日本代表のゼネラルマネージャーとして活動するのも自分の「システムコーチ」「パーソナルコーチ」を超えた「組織や個人のリーダーシップを最大限引き出す人」として実践しながら深め、極める学びだった。
「幅を広げる学び」とはどういう学びを指すのか。
私らしい言葉でいうと自分にとって「オモロイ」」という感覚から取り組んでいること。
他人から「オモロイ」のではなく、自分からみて「オモロイ」か。
習い事とかそれに当てはまる人もいるんじゃないかな。
もちろんこれも経験でも当てはまる。
私が経験してきた「幅を広げる学び」の例としては
・結婚したいと思わない相手と付き合う:これの何が面白いのか探求
・大学時代体育会ラクロス部に入りながら、サークルバスケ部に半年入る:人の限界はどこまでか
・通訳養成塾に大学時代通ってみる:英語を活かす発展形を覗く
・セレブ過ぎるママ友と付き合ってみる:私の知らない世界への好奇心
・イギリスで通ってみたコミュニティカレッジで歌の教室に通う:歌うことを苦手とする自分へのブレークスルー
・自分が普段組まない企業と仕事:価値観の異なる相手とどう協働できるか
・自分の家の購入、リノベーションプロジェクト:暮らしが家族や生活へ与える影響の実験、自分のデザインセンスへの挑戦
・吉本の即興ステージ「the Empty Stage」を観戦:違う世界のプロと自分の共通点と違い
・ピラティス:正しい姿勢で整えるエコな体づくり
・:週一ベジタリアン:料理の幅を制限から広げてみる
もっといろいろあるけど、本業とは異なることをやってみる。そんな感覚。
こうやって書くと、目的意識あるみたいだけど、当時はそんなの考えてないことも多い。
無理にというよりも自分の心が響くままにね。
そういう意味では私は「最近私オモロイことしてない」という危機感というかチェックはよく頭の中で起こります。
③収入のためにやらない
これはお金をもらわないという意味ではない。
しっかりチャージします。私。
でも、お金をもらうためにやっているわけではない。
自分の価値に対していくらです世の中への一つのメッセージなだけ。
逆にいくらいいpayで、自分にもできることだとしても心がうずかなかったら引き受けない。
大事なのは自分起点
これは特に母親になってから強く感じること。
「私はこの限られた時間をこれに費やしたいのか」
を常に選択している。
サラリーマンだったらお給料もらってるし、会社から依頼されていることは「やりたくないことでもやらなくては」という意識になるのはまだわかる。
そして、ローンを組んだ身としては
「あー、こうやって人はお金のために働きだすのかもしれない」
という感覚を初めて理解できた。
注意ですね。ここ。
そして、すごくやりたいことで無償でもいい!という感覚なものあるよね。
それこそ新たな領域や自分が心から携わりたかった領域からの声かけはチャンス!!
それも大事。幅を広げる学びになるよね。
でも落とし穴は「無償でもやりたい」と自分が思えるからと言ってやり続けると、
いずれ学びの箱はいっぱいになり、
自分の中の報酬としてもらっていた「学び」と自分がかけているコストのアンバランスが生じることもあります。
お互いの甘えにもつながる。
特に自分がプロフェッショナルとしてやっていることへの無償提供については私は自分の中でも期間とボリュームを決めています。
むしろ自分の新たなチャレンジはそんな相手からもチャージできるようになる。
そうでないとあなたの後から同じようにプロフェッショナリティを持っている人たちも永遠にチャージされません。
大事なのはボランタリーを依頼する人・される人の両方が無自覚でないこと。
都度都度相手との合意が大事。
ちょっと話がずれちゃったけど、
収入のためにやらず、自分のためにやる。
結果、お金がついてくることもあるし、ついてこないこともある。
でも経験が自分のキャリア?を作っていく。
そのスパイラルが新たな仕事の機会につながる。
だから全て結果的に収入になることが多い。
もちろんこれは旦那も仕事をしている私だからこそできること。
中には自分が仕事しないと食っていけないという人もいるでし、参考にならない人もいるでしょう。
そんな人は自分の「お金起点」と「自分起点」の期間とボリュームを決めてみることから始めてみるのもいいかもしれない。
この3つの要素で私は好きなことを仕事をすることができている。
書いてみて、これらが循環しているなぁと。
この循環で成り立っている8年間でした。
そして続けることが目標ではないので、
これからもオモシロく生きたいと思う。