脱駐妻生活

私は駐在員の奥さんを略して駐妻と呼んでいます。

滞在期間は人それぞれですが、2-5年ぐらいのスパンで転勤を繰り返す夫を持つ奥さんのこと。

夫の会社の辞令に従い、新たな土地へ引っ越す。。

新天地に知り合いがいなかったら不安。

言語が通じなかったら尚更不安。

夫も新たな環境に溶け込むのでいっぱいいっぱいの中、

妻サイドは子供たちの学校関係のことをまず色々決め、

女性の得意なゴシップ&ファクトの情報収集をし、やりくりしないといけない。
海外の場合、住む地域によっては手に入る日本食材が限られていて買い物も一苦労。

などなど不便さを感じながら、生きていく。

一見華やかに見えるこの駐妻生活もセットアップは大変なんです。

私はこんな生活を性格に合うのか、エンジョイさせてもらっています。

もともと転勤族だったこともあり、環境を新たに変えるというのはワクワクするもの。

もちろん別れは寂しいが、大事な人とは離れてもつながっていられる。

便利な世の中となった今はもっとその繋がりの距離感が近い。

ただ、そんな私にも海外生活7年目を迎えようとしている今、ちょっと嫌になっていたことがある。

それは「自分が住む家」に対する愛着が低いこと。

全ての駐妻がそうであるとは言いません。

でも私の場合はもともとの生活に拍車をかけたのがこの「借り屋暮らしのケイティ生活」

「どうせ大家のお家だから家具も決まっている。好きなようには出来ない。」

「今だけしか使わないからとりあえずの物でいいや。」

「とりあえずの物として安いものを買ったから壊れやすいんだ。」と言い聞かせる。

「日本には持って帰れないんだから数年たったら捨てればいいや。」

気に入ったデザインがあっても、

「帰ったらどんな家に住むか分からないんだから無難なデザインにしよう。」

何か家具の購入を考える時、家周りのことを考える時に私の脳内ではこんな声だらけ。

断捨離も得意な方だと思っていたけれど、得意な理由の1つは物を大切にしていないからなんだと思う。
「丁寧な暮らし」の1つとして「物を大切にして生きたい」と思いつつ、

何かとそういう生活は自分のお家を買ってから出来るものと遠い目で見ていた。

けれど、ここ数か月ジワジワとそんな自分の姿勢が嫌だなと思うように。

他の駐妻のお家でも素敵なお家は沢山ある。

それらはやっぱり暮らしの中の「丁寧さ」を感じるところに私はインスパイアされていた。

自分の生活を見直し、その一歩として今いる家を「自分の家」と思うようにしよう。

賃貸であろうが関係ない。

今暮らしているこのスペースにこだわりを持つことで愛着を持とうと決めた。

そんなことを想っているときにご縁で数々のイギリス人のインテリアコーディネーターとして活躍されているこづえさんにワークショップを我が家で開催してもらいました。

まさに、自分の好きを表現する時間でした。

メインの色んな雑誌を見ながらコラージュにしていく過程ではとにかく好きを他とのバランスなど考えず躊躇なく出していく結果、全体として見たときにちゃんとまとまる。

極端な話モノトーンにした方が統一感があると思い込んでいたけれど、

そんなことはなく、一貫性など気にしない方がユニークで自分らしさが出る。

あー、人生と一緒だなと思った。

すぐにお家の全てをやりたいようにできなくても、

自分の好きを知って置くことでいざ必要になったときにどういうのを探せばいいのか分かる。

それによって必要以上の迷ってる時間や無駄なお買い物が減っていくのだと思う。

また、どんなものを選んでもOK

結局は自分という人間で全てが繋がっているという感覚が自由な選択を許可されているようにさえも感じた。

他人との比較や何が正しいかというジャッジのないところに自由に表現できる喜びを感じ、どこかコーチングと通ずるものがあるようにも感じた。
自分の好きをコラージュ。

たまに子供のように無邪気に、素直に自分の「好き」をかき集めるのはとても楽しい時間でした。

まずは少しずつ自分のお家を工夫していきたいと思います。