あの人はベストを尽くしていると思いますか?

自分の周りにいる人はみんな、 最善を尽くしていると思いますか。

ついクレームばかりしている自分になる時ないですか?

私は自分が満たされていない時にそうなる傾向があるように感じます。

「あの人、才能ない。」

「あの人のあり方どうなの?」

「あいつ、逃げたな」

などなど。   かなり酷いです。 w

実はクレーマーの自分は自分にも厳しくなるんです。

「あー、私全然ベスト尽くしてないやん。」

「今のだめだ。今日の自分も全然ダメ。」

「やっぱり自分はこういうこと向いてないのではないだろうか。」

基準も明確でない中での自己否定。

4月5月の私は結構それが多かったなと感じます。

そんな日々の中、もう一度リセットするために読書に没頭。

私の大好きなブレネーブラウンの本「RISING STRONG」をもう一度読み直したんです。

和訳で「立て直す力」

ちなみにこの本、というか彼女の本最新3冊は全ておすすめです。

そこの一節が

「人は最善を尽くしていると思いますか?」

彼女は100人以上に聞いて見たそうです。

その中で彼女の夫の言葉が刺さりました。

「本当にわからない。けど、最善を尽くしていると考えれば、僕の人生はいいものになる。人の行いの優劣を判断しなくてもいいし、いまのありのままの現実に集中できる。ああだったら、こうだったら余計な仮定をしなくてすむ」

その通りだと思う。

沁みました。

人はその人のその時点のベストを尽くしている。

その前提があった方が、いろんなことに対して寛容であり、健康的な心を保てる。

そのベストの相手に納得いかなかったら言えばいいだけの話。

ベストを尽くしていないと思うからイライラしたり、怒るのではなく、

ベストを尽くしていると思うから

「もっとこうして欲しい」

と相手に敬意を持ってDEMANDできる。

このDEMANDは結構苦手な人多いのではないでしょうか。

その理由は「傷をつけてはいけない」

「一生懸命やっているし」

「自分さえ我慢すればいい」と思っているからなのではないでしょうか。

相手に伝える時は自分がベストを尽くすために言う

イライラガミガミしてしまうのは結局自分が伝えてなかったり、

できることをやっていなかったからにすぎない。

伝えたところで、相手に変化がなかったとしても、それは相手のチョイス。

伝えきって変わらない時は残念だけど、悔いはないだろう。

伝えかたを変えればよかったという学びはあるかもしれない。

それは伝えたからこその収穫だ。

皆さんは思っていること伝えていないのに、

勝手に評価者になってイライラしていませんか?

相手はベストを尽くしているという前提だとどのように変化しますか?