先日小学校のPTAの係で親のためになるイベントを企画しました。
今回は落語家、立川志の春さんにお越しいただきました。
テーマは「自分を壊す勇気」
帰国子女からのイエール大学卒業で商社マンからの落語家へ転身。
それだけで私にとっては興味深い。
私にはとても耐えられない師弟文化を乗り越えて今に至る話をして頂きました。
そこから学んだことをいくつかメモです。
想いを言葉にする大切さ、そこから生まれる覚悟
落語家への道が厳しくて10人に1人が残る世界で、
「親に反抗されて説得してまで入門する人ほど生き残っている」
親というのは基本的に子供を応援する存在。
その親が反対するのは親が「子供のことを思って」のことです
その想いを跳ね除けて、説得してまでやる人は腹グクりが違う。
崖っぷちなのだ。
守破離の守をなめるな
「オリジナリティは不要。徹底的に型を覚えるとその人本来のオリジナリティが滲み出る」
最初の何年かはずっと呼吸のタイミング、イントネーション、テンポ全てを師匠の真似をしてフィードバックを貰うそう。
でも、全てなぞったとしても、その人の個性というのは滲み出る。
何かを学ぶ時、まず真似から入るというけど、時にそんな型から入るの嫌だ、自分は個性的でいたいと思う事が私はよくある。
けど、この徹底ぶり、そしてそれでも個性が出るというのを聞いて、
なんだかその世界でのプロフェッショナリティを感じた。
守破離の守をなめたら本質を理解しないままになりかねない。
アートとサービス
「落語家が鍛えるのはアートとサービス」
アートは落語そのものの芸術性、サービスはその場のお客さんの反応を見て何を求めているのかを掴み何をどう伝えるかを瞬時に決める技術
この2つがあって成り立っているという立川志の春さんの言葉を聞いて、
なんだか落語をもっと知りたくなった。
場づくりをする身としてはとても興味深い。
師弟文化
圧倒的な師弟文化を持つ落語世界。
これをどこまで厳しくやるのかはこのご時世難しくなっている。
一言で「伝統だから」の伝統とは一体なんだろう。
そして変わってきているのは世の中からの見方だけでなく、
落語家になろうとする人たち、そしてそれを取り巻く情報社会。
師弟文化を否定しているわけではない、
けど、今後のあり方が問われていると思った。
いやー面白い。独特の世界だけど一本の筋を感じる。
私は初めて生の落語を見たけど、はまりそうです。誰かお付き合いください。